近未来将棋小説 紅に王手

織田八之助が江戸時代と現代を駆け抜ける梵暮ら物語り

4:20

八之助は駒彫の内職を4:00に切り上げた


カッパと猿乃助と4:20に 城下町の人気の蕎麦屋舞鶴で待ち合わせをしていた


今夜は維新天楽隊の練習の日だが まずは 腹ごしらえ 恒例だ


舞鶴の店主78は 八之助の同年代で昔から知る良し身だ



「いらっしゃいませ~」


「どうもっすでござる」


「どもども」


「どうもっす」


「お 八之助御一行様じゃないですか いつもありがとさまね


 何にします」


「んじゃ いつもの ハッピー蕎麦3つ」


「はいよ」



トントン タカタカ トンタカタ




「はい おまち~   あっ」




「そんな バナナでござる」

ロンドン

「イザベラ 今度は ジャパンに行くって?」


「そうなの お父様 今度は ジャパンを旅するわ」



この一年前 イザベラは 太平洋の島 ハワイを旅していた

八之助は 時に 詩人であった



サムライの意識 星空より高く




八之助は全てにおいてこの言葉を当てはめていた



駒を彫る印刀の研ぎ方 しかり 刀を研ぐのと同じなりけり



時として 武士として想う 


徳川家は何故 250年もの平和を保てたのか



天童織田藩は 最上藩 荘内藩 伊達藩 上杉藩に囲まれた立地にあった為 狂おしい時代があったのも事実であった

「ぷっ は~ 4 八 香車」


「くぅ~ 厳しいでござるな マジでござるか」


「マジでござるよ」




「八之助さん 今夜は何をしてるでござるか?」


「・・・今日は 維新天楽隊の練習の日じゃな」



「頑張ってござるな」


「な~ カッパ~ 天楽はな~ 頑張る頑張らないの話じゃないんだよ」

曇り

八之助はロストサムライジェネレーションと言われた時代を生きていた


天童織田藩 吉田大七は天童藩所属の武士達に 将棋駒制作は武士の内職に恥じぬと将棋駒製作を推進していた 財政に苦む天童織田藩にとって将棋駒制作で得たお金は貴重な現金収入になっていた